ソサエティ5.0時代のまちづくり
―住民参加に挑戦する若い人たちへの伝言―
太子堂2,3丁目地区まちづくり協議会 梅津政之輔
「ソサエティ5.0時代のまちづくり」などと大それたタイトルを付けましたが、ソサエティ5.0時代のまちの姿を想定して解説するつもりはありません。描きたくても、スマホのアプリも使いこなせない私には無理なことを自覚しているからです。
しかし、昭和時代の平和から戦争、廃墟から復興、高度経済成長からバブル経済、そして失われた20年と言われたデフレ経済の平成時代まで、長い人生を通して私は時代とともにまちの姿も人びとの考え方も大きく変化することを経験してきました。
それだけに、最近のAI(人工知能),IoT(モノのインターネット),5G(次世代通信規格)などの技術革新の急進展を見て、世田谷区太子堂のまちづくりも時代の変化に対応して見直し、新しいまちづくりの課題を探求しなければと考えて筆をとりました。
第4次産業革命と呼ばれている技術革新は、世界的な潮流となって個別の産業分野だけでなく、経済社会全般の在り方を変え、私たちの生活意識やまちの姿も変えようとしています。すでに自動運転、自動配送、遠隔医療、無人コンビニ、AI兵器など、さまざまな実証試験が各国で始められ、また人びとの意識もシェアハウス、シェアオフィス、ライドシェアなど「所有」から「使用」へと価値観の変化が見られるようになっています。
技術革新は効率、生産性の向上によって経済成長を促進させる効果があり、人びとの生活が向上する分野も多いと思います。しかし、職種によってはAI・ロボットに置き換わって失業者が増え、社会不安が増大する危険性もあります。情報セキュリティやビックデータの活用に潜むリスク、プライバシー侵害なども心配されています。
こうした技術革新のマイナス面を強調する意見がありますが、私は18世紀の産業革命に対するラッダイト運動(機械打ちこわし)のような時代の流れに抵抗するのではなく、人びとがAIを活用し、AIと共生する未来のまちの姿を住民自身が前向きにデザインし実現する方策を検討すべきだと考えます。もちろん、まちづくりは時代の変化だけでなく、地域特性や住民意識なども考慮して独自の課題と方法を考慮すべきです。
社会が大きく変貌しようとしている時は、過去の経験、常識、社会の枠組みに固執し、その延長線で考えていては変化に適応できません。行政組織は「レガシーシステム」などと揶揄されているように、激変する社会変化、複雑化するまちづくりに対して、縦割り組織の専門知識だけでは対応できない事例も散見されます。また毎日の暮らしに追われている住民も、技術革新の内容を理解し、加速する時代の変化を俯瞰してスーパーシティと呼ばれている未来社会の討議が苦手な人たちの多いのも現実です。
とはいえ多くの人びとは、どこのまちに住んでいても、どのような時代になっても、自分の暮らしを守り、向上させたいと願っていますから、ソサエティ5.0時代のニーズに応えるためには、やはり行政と住民の双方が「まちづくりとは何か」「まちづくりはどうあるべきか」の原点にたって検討し、意思疎通を図ることが必要ではないでしょうか。
専門家によれば、まちづくりとは「地域社会に存在する資源を基礎として、多様な主体が連携・協力して、身近な居住環境を斬新的に改善し、まちの活力と魅力を高め、生活の質の向上を実現するための一連の持続的な活動である」(日本建築学会編『まちづくり教科書第1巻』)と定義しています。
確かに、まちづくりには多様な主体が連携・協力することが必要ですが、まちづくりの現場では、計画が具体化するほど行政と住民の対立や住民同士が激しく対立して合意形成が容易にできないのが実情です。私は、まちづくりは対立が避けられないが、対立を避けるために異論を排除したり、単なる妥協策を模索するのではなく、双方が対話を重ねて創造的な解決策を見出す努力をすべきだと考えてきました。
このため私は、まちづくりに参加した当初、室町時代中期に存在した村落の「惣」(そう)が、寄合の総意によって掟を定める農民の自主的運営組織を現代でも地域自治の理想と考えていました。だから、「まちづくり協議会」はピラミット型の組織ではなく、ホラクラシー型(水平型)の「話し合いの場」として位置付けてきました。
しかし、ダイバシティ(多様性)の時代を迎えて、多様な意見、批判、要求をどのように整理し合意形成を実現するかに悩み、試行錯誤を繰り返しながら新しい都市型の地域自治の確立を模索してきましたが、いまだに明確なレイアウトを描くことが出来ません。
いまでも、ソサエティ5.0時代のまちづくりの検討は住民参加で行うべきだと思いますが、最近はこれまでの「協議会」のように、単に話し合いの場で終わらせるのではなく、行政と住民が専門知識と生活知を融合させ、幅広い知識を学ぶリベラルアーツ(教養教育)のような「討議の場」にしていかなければならないと考えています。
もっとも、こうしたまちづくりの考えは、理想論で効率が悪く、成果が見えにくいと批判されそうです。また、暮らしを守るために身近な課題を優先すべきだとの批判も出ることでしょう。いずれにしても住民と行政が共に新しいまちづくりの課題について対話を重ね、共感できる創造的な方策を見出す努力が必要です。特にソサエティ5.0時代のまちづくりは、私たちが権力者や巨大プラットフォーマーに心を支配されず、自律的な暮らしの質の向上を図るためにも、次世代を担う若い人たちが討議し行動することが望まれます。また地方自治体と住民が、共に次の5つの視点を念頭において地域自治の確立を目指して討議することがますます必要な時代になると思っています。
①まちは、時代と共に政治、経済、社会環境、住民意識を反映して変化していくので、まちづくりには動態的視点が必要
②まちは、その地域に住む人びとの過去から現在につながる暮らしの集積であるから、まちづくりはこれを資産として引き継ぎ、未来に発展させることを考えること
③まちづくりには、意見の対立、利害の対立が避けられないので、多様な視点を話し合う「まちづくりの広場」をつくり、住民と行政が継続的して共に学び共に意識改革をして共進化する努力が大切
④まちづくりの検討にあたっては、少子高齢化、グローバル化、地球温暖化、社会構造の環境変化などを総合的、広域的、長期的視点から検討するとともに、国連が掲げたSDGs(持続可能な開発目標)の17項目の目標や企業のESG(環境、社会,企業統治)投資と地域のまちづくりとの関連についても検討する視点が必要
⑤住民参加のまちづくりは、住民と行政が協働してEBPM(実証的政策・計画立案)を行い、計画を実行した後は常にPDCA(計画、実行、評価、改善)サイクルを共に実施する。その過程で住民参加から住民参画への進化を目指す
来年には卒寿をむかえるアナログ人間の私が、デジタル新時代のまちづくりを論じるのは笑止なことと思いますが、まちづくりには2進法のデジタル思考では見えない部分があるので、あえて問題を提起しました。ぜひ、まちづくりに関わる多くの若い人たちからご意見、反論、ご教示を頂ければ幸いに存じます。
(註1)ソサエティ5.0は、内閣府が第5期科学技術基本計画で定めた目標で、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く新たな社会のこと。
(註2)「暮らし」という言葉は、私は英語の「life」と同じ“生命”、“生活”、“人生”を含めた広い意味で使っています。
(註3)ホラクラシ―型組織は、旧来のピラミット型の組織ではなく、肩書や役職など上下関係にとらわれないで討議できるフラットな組織のこと。
(註4)スーパーシティは、2018年に内閣府の有識者会議が示した第4次産業革命後の目指すべき最先端都市。
(註5)太子堂地区のまちづくりは、世田谷区の呼びかけで1980年(昭和55年)に防災対策を主題として始め、82年(昭和57年)には世田谷区が住民参加のまちづくりを法的に担保する「街づくり条例」を制定しまた。私は、条例に基づくまちづくりに最初から参加して活動してきました。爾来西の神戸、東の世田谷が住民参加のまちづくり先進自治体として、また太子堂はそのモデル地区として全国からその成否が注目されてきました。
それから39年、行政と住民が協働してハード、ソフトの両面で多くの成果を上げています。時の経つのは早いもので、私もいつの間にか八十路を超えたので、老害をまき散らさないために協議会の役員を引退しました。かつて私が住友化学工業の社史編纂のお手伝いをしたとき、住友財閥中興の祖と言われる第2代総理事伊庭貞剛(元裁判官、煙害対策として別子鉱山の新居浜製錬所を四阪島に移転するなど、いまでいうESG投資を行った経営者)の「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして老人の跋扈(ばっこ)である」という言葉に賛同していたからです。太子堂のまちづくり経験を若い人たちに引き継ぐため、2015年に「暮らしがあるからまちなのだ」(学芸出版社)を出版していますので参考にしてください。
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